あなたらしさって何ですか?
と私に聞かないでほしい。
知らんからだ。
探しても見つからない。
探したら見つからない。
もしも誰かがにこやかに私に向かって
「この白い紙にあなたの”自分らしさ”を20コ書き出してください」
と告げたら、
私は胸が詰まるだろう、と思う。
自分らしく生きましょう
自分らしさを大切にしましょう
自分らしさを輝かせよう
この言葉が人を焦らす。
紙に
書けるような自分らしさはない。
そのかわりに私は、
ただ日々、見て、
聞いて、
判断して、
感情を抱いて、
反応し
選択して、
行動する。
自分らしさがあるとしたら、
それは、
ひとつひとつの物事に、事柄に、出来事に、
自分が繰り出すすべての反応で、
そして、
その感情と選択の出所が自分であることに
責任を持つということではないかと思う。
その自分らしさはどうやってみつけましたか。
その自分らしさにあなたは責任を持てますか。
なぜその自分らしさをあなたの自分らしさに選んだのですか?
さあ、それでは、
☆自分らしさの見つけ方教えます☆
日々、日々、日々、出会って見て聞いて感じて反応してください。
へんな天気に、怒った人に、泣いている子供に、
疲れきった体に、要求に、不安に、痛ましいニュースに、
他人の喜びに、自分の喜びに。映画に、舞台に小説に。
庭の花に、ゴミ出しの用意に、衣替えに。
その重なりの向こうに、浮き彫りになるのかもしれない。
決して譲れない、譲りたくない、殴られても変えたくない
選択の形が。
それ以外のものは変わる。変わればいい。
だからね、
どんなにあなたがが「自分らしい仕事」に就いていても、
「自分らしい住まい」に住んでいても、
「自分らしい服」を着ていても、
日々の選択が、
反応が、口にする言葉が、行動が、
軋んだものであれば、
それはあまり自分らしい生き方じゃないな・・・。
たぶんもう、気づいていると思うけど。
だから何かスッキリしないわけだし。
自分らしい感じの入れ物や看板を探す前に、
100回の、100万回の、「自分らしい反応」を積み重ねていくんだよ。
そうすればどこかに
筋が通ってくる。
一筋の、二筋の、三筋の、
自分らしい命の使い方が、
形を取り始める。
それがあなたにとって大切なものなら、
涙を浮かべて転がってでも、
それを守ろうと思うはずだ。
たとえ入れ物や看板は妙ちきりんでも、
あなたが守りたい自分らしさがそこにある。
あった。
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